肥薩線・矢岳越え
2008 / 11 / 10 ( Mon ) 今度は矢岳第一トンネルです。
![]() トンネルの入口に扁額が取り付けられています。 「引重致遠」(重きを引きいて遠くへ致す)の文字があります。 矢岳トンネルを作ったときの鉄道院総裁・後藤新平の筆によるものです。 上の写真は車内モニターに映った額です。 ![]() トンネルの出口(人吉方面)には「天険若夷」(天険 夷のごとし)の扁額があります。 こちらは逓信大臣だった山縣伊三郎の書です。この人は山縣有朋の養子ですね。 私が乗っている列車「いさぶろう・しんぺい」は、この二人の名前から付けられたのです。 こういう山の中を列車で行くと、明治時代によくこんな所に鉄道を通したなあ、と感銘を受けます。 実は、肥薩線は始めは鹿児島本線だったのです。門司を出発して鹿児島に行く路線は、九州の山中を通りました。 わざわざ大変な所を通したのは、海岸沿いに鉄道を作ると海から敵の攻撃を受けるから、だそうです。確か、北九州のほうも、当初は海岸沿いでなく筑豊本線が幹線だったと聞きました。 肥薩線(当時は鹿児島本線)が全通したのは1909年、日露戦争から間もない頃です。中国大陸に近い九州に鉄道を通す時、そういうことも考えないといけなかった時代なんですね。 明治政府には薩摩・長州出身者が多かったから、下関や鹿児島が外国軍に攻撃された記憶がある人もいたでしょう。 その後戦争の主力が飛行機に変わり、海沿いでも山のほうでもあまり関係なくなりましたが。 1927年、海沿い(川内を通る)ルートが完成して鹿児島本線となり、山の路線は肥薩線と名前を変え、ローカル線になりました。 |
肥薩線・山の風景
2008 / 11 / 03 ( Mon ) 肥薩線、真幸駅を過ぎて矢岳第二トンネルを抜けると、素晴らしい景色が見えました。
![]() 霧島連山・えびの高原が一望できます。日本三大車窓のひとつだそうです。 ![]() 列車はここで停車してくれました。 桜島(写真のもっと右のほう)が見えることもあるそうです。この日は見えませんでしたが。 この景色は本当に良いですね。九州の鉄道に乗るなら、ぜひ見てほしいところです。 |
肥薩線・真幸駅(3)スイッチバック
2008 / 10 / 25 ( Sat ) 肥薩線・真幸駅を過ぎたところ。
隣りに線路がありますが、複線ではありません。 スイッチバック構造になっていて、Zのように一度戻ってまた登るのです。 険しい山の中の区間ですから、そのようにしないと山越えできないのです。 ![]() 一番右の線路を右から左に走っていって奥の真幸駅に止まり、逆向きに二番目の線路を左から右へ。もう一度向きを変えて左の線路を走っています。 ![]() さっきの真幸駅ホームが下のほうに見えます。 ![]() 進行方向と逆の向きから撮影。 真幸駅と「幸せの鐘」が遠ざかっていきました。 |
肥薩線・真幸駅(2)
2008 / 10 / 24 ( Fri ) 肥薩線・真幸駅の続きです。
駅構内に、土石流で流された石の塊がありました。 昭和47年(1972年)7月6日、豪雨で駅の裏山が崩れ、真幸駅と周辺に大量の土石流が流れ込みました。死傷者も出たたいへんな被害だったのです。 ![]() その時の石が今も保存されていました。 表示板には 「山津波記念石 昭和47年7月6日午後1時45分頃山津波が発生。 約30万立方メートルの土流出した。 この岩塊は当時の山津波で流れ出たものを現場でそのまま山津波記念石として保存するものである。 尚、この石塊は重さ約8トンである。 昭和47年 真幸駅長 宮崎県小林土木事務所 えびの市土木課」 と書かれています。 (肥薩線は鹿児島県から熊本県への路線ですが、真幸駅だけは宮崎県なんですね) ![]() 駅舎は昔のままです。格子窓がいいですね。宿場町みたいで。 |
肥薩線・真幸駅
2008 / 10 / 10 ( Fri ) 肥薩線・真幸(まさき)駅です。
真に幸いと書く、縁起の良い名前で人気の駅です。 北海道に愛国、幸福という駅がありましたね。残念ながら廃止されてしまいましたが。 ![]() 駅構内に「幸せの鐘」がありました。 ![]() ![]() 「ちょっと幸せの方は1回、もっと幸せを願う方は2回、いっぱい幸せの方は3回 鳴らしてください」 だそうです(^^) 観光客が盛んに鐘を鳴らしていましたよ。私もちょっとだけ。 ![]() 駅前の人形がほほえましいですね。 |















